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 早稲田大学
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item1b1a1a1a1 えんじの人々(12)「早稲田バレーが目指すところ」

福田順一さん(男子部・昭和44年・教育学部卒業)   2010年3月掲載

稲門バレーボール倶楽部会長の福田順一さんがこのたび、平成22年度関東大学バレーボールボール連盟理事長、そして全日本大学バレーボール連盟副理事長に選出され、実務のトップとして大学バレーボールを牽引してくことになりました。戦前戦後、昭和の時代には早稲田の関係者が大学バレー運営の中心として活躍してきましたが、平成になって大学バレーボール連盟が理事制の組織になって以降始めての早稲田出身の理事長の誕生です。

「大学バレーをめぐる環境はさらに厳しく、普及の裾野では体育会部員の減少、トップ選手では国際競技力向上のための強化策、リーグ戦を含む競技大会方式の改善など、問題は山積みです。福田さんは、現役学生時代には3年生から2年間主将としてチームをまとめ、実業団に進んでも強豪富士フイルムで選手として活躍後チームのマネージメントに携わりました。稲門バレーボール倶楽部でも重責を担い、1977年から3年間早稲田大学バレーボール部監督としてチームを指導、運営面でも卒業生として初の会長に就いた赤塚南海男さん(昭和41年政治経済学部卒業・2007年ご逝去)の片腕として副会長に、その後会長として稲門バレーボール倶楽部の舵取りに打ち込んでいます。文武両道の早稲田バレーの真髄を知り尽くした福田さんが、そのスピリットを掲げて大学バレー全体の底上げと充実をめざします。」

 

福田さんが早稲田大学へ入学した1965年は、東京オリンピックの翌年です。東洋の魔女が金メダル、男子も銅メダルと健闘し、バレーボールに関わる熱気も高まってきた頃でした。

「私が早稲田入学の頃を思い出しています。初めて練習に参加した時には“すごいおじさん”が練習しているなと思いました。それが4年生だったのだなーと・・・。当時早稲田は有力な選手はいないなか1部リーグ戦を戦うべく練習をしていました。4年生の個々の役割も明確になっていたように思います。キャプテン、マネジャーを中心にチーム全体で、そして個人に対してはスタメンに入っていないレシーバーの4年生、と役割が明確になっていました。この ”4年生中心になって学生自身がチームをまとめていく” これが早稲田のバレーであり学生スポーツの本来の姿であると思います、そして実際に4年生が自ら実践しコートに立っていました。早稲田に入った時にすばらしい学生スポーツの見本があり、これが私の在学中の考え方の基本になっています。」

福田さんは、“4年生から1年生までの各学年が、全体としてかつ個人としてそれぞれの役割を明確に認識して実践し引き継いでいくこと”の大切さを訴えます。それがなければ大学スポーツではないと言いきります。

 「下級生が上級生の姿勢を見習い引き継ぎ、練習し試合に臨むこれが早稲田の伝統だと思います、いまの現役が本当にこの伝統引き継いでいるかは、疑問に感じます。その時代、時代でレシーブの早稲田、コンビの早稲田といわれてきましたが、本来は試合であきらめずボールを追い、下手でも常に前向きで、“これが学生スポーツだ”、“これが早稲田バレー”だ、ということを実践することが結果としてついてくるのではないかと思います。その成果として、男女ともに1部リーグで常に優勝を争う実力を備えてもらいたいと思っています。」

「 バレーを通じ、在学中にいろいろな経験をし、成長し、そして社会人として巣立ってもらいたいと思います。」

大学生活はわずか4年間で、その後の長い人生の中で、早稲田で学び、早稲田でバレーをしたことがどれだけ大切な財産になるか、そのことを早く知って限りある時間の中で有意義で悔いのない大学生活を送ってほしいとアドバイスします。

福田さんは長く早稲田バレーに関わってきました。その実績を今度は大学バレー全体に向けて発揮することになります。

「 大学バレーを取り巻く環境は、いま実業団(企業)に頼るバレーがとても難しくなっていています。実業団チームを維持し応援している企業が減少し数えるほどになっています。欧米のような地域密着のクラブ形も確立できず中途半端になっており、今後全日本等シニアチームに大学の選手が今までより多く選ばれ中心になる事が予想されます。」

 強化と普及の両面を改善するために、試合方式の見直しも迫られています。

「リーグ戦を春、秋きちっとしたスケジュールを確保することも難しい状況にあります、又、年間の試合が多くなり過密なスケジュールなっています。学生の年間のスケジュールを再度見直す必要が出てきています。(リーグ戦改革後の全体改革に進んで行きたいと思っています)大学選手権等トーナメントの開催日程、参加方法も運営面から根本的に見直しが必要です。学連委員の減少による負担も考えなければなりません、今年度学連委員の選任を参加校に要請していきます。リーグ戦改革というより全体の学連改革が必要です。選手個人の「学生アスリート」としての自覚が必要です、常識、礼儀、緊張感等、社会の一員として模範ある行動を指導していきたいと思います。(早稲田が模範行動を取れれば・・・最高です) 今後、学生中心の時代が到来するはそう遠くないと思っています、環境を整備して学生の負担を軽くし、全力で学生らしいバレーが出来る環境を作っていかなければと思っています。」

 

福田順一(ふくだじゅんいち)東京都・聖橋高校から1965年(昭和40年)に早稲田大学教育学部に入学し、バレーボール部に入部。3年生のときから2年間主将としてチームを引っ張り、昭和44年卒業。実業団バレーの強豪富士フイルムに入社、現役選手として活躍後マネージャーとして部の運営に携わった。1977年(昭和52年)から3年間早稲田大学バレーボール部監督。稲門バレーボール倶楽部幹事で長く運営スタッフにはいり、平成18年に稲門バレーボール倶楽部副会長、平成19年に会長就任。平成22年3月から、関東大学バレーボール連盟理事長、全日本大学バレーボール連盟副理事長に就任した。

 

学生時代、卒業後の戦績•経歴について話してもらいました。

「1年の最初の試合は「早慶戦」です。その当時は春のリーグ戦の前に早慶戦がありました。その後早稲田在学中は公式戦にスタメンで全試合出場しました。富士フイルムでは、入社した年に入れ替えで破れ実業団リーグで1シーズン過ごしました。部員が確か9人と少なく苦労を思い出します。翌年現筑波監督の都沢さんらが入り日本リーグに復帰しました。現役はその後有力選手も入り4年間で引退し、総務(マネジャー)を4年間やり引退しました。総務時代の社内管理・予算管理・選手管理・選手勧誘等が役に立ったと思っています。

引退の年に東京に戻り、早稲田のコーチ、赤塚監督の転勤に伴い監督、その後転勤により一時早稲田を離れましたが、指導委員長、再度副幹事長、幹事長、会長になり現在に至っています。」

※ この「えんじの人々」シリーズでは、稲門バレーボール倶楽部の会員の消息や各界で活躍するすがたを紹介していきます。そうした卒業生がいらっしゃったらご連絡ください。ご自分での文章も歓迎いたします。