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item1h3a1c1b2a3a1b3b1a3a3a1a えんじの人々( 13)復興の道を歩む 

飯沼康太さん(男子部・人間科学部平成18年卒業)

2013年6月掲載

2009年に掲載した「えんじの人々」の第2シリーズをおおくりします。「集まり散じて人は変われど」、昭和6年に創部以来、早稲田でバレーボール部に入部して、卒業したOBOGは523人います(平成25年3月現在)。さまざまな世界で活躍する卒業生を紹介します。 >>過去の「えんじの人々」の記事へ

 

 東日本大震災を経験して (飯沼さんが、2011年東日本大震災被災後の6月に本ホームページに寄稿された文章から)

 当時、私は勤務する学校で入試業務を行っていました。「あ、地震だ・・・。」最初のわずかな揺れを感じ、誰かがそう発した次の瞬間、下から突き上げるような地鳴りとともに巨大な揺れが襲ってきました。木々や電波塔はメトロノームのように左右に揺れ、駐車してある車はボールのように弾んでいました。私はその恐怖をこらえるのに必死で机の下に潜り込んでいました。最初の大きな揺れがおさまり、あたりが静まりかえると同時に救急車や消防車のサイレンが止むことなく鳴り響きました。これはただ事ではないと、その時初めて実感できました。車のテレビをつけると大津波警報が発令され、家や人がのみ込まれていく映像がそこにはありました。私の住む地域は内陸にあるため、津波の被害は免れましたが、この世が終わってしまうのではないかと本気でそう思いました。・・・・・

 

飯沼さんは、勤務先の福島市内の福島商業高校で東日本大震災にあいました。高校は避難所になり、市内で被災した方々や福島原発から避難した方々が多数集まり、飯沼さんも支援に携わりました。震災から2年あまりたちましたが、いまだ福島県をはじめ被災3県の復興の道遠く険しいのはみなさんがご承知のとおりです。

「震災を経て、周りの人たちが『フクシマ』への思いやりをもって接してくれていると感じています。高校生たちも時折見せる余震に対する過敏な反応には心苦しい思いはありますが、表情が豊かになってきたように思えます。福島の人びとは確実に前を向いていると思います。街も耐震工事や様々な復旧工事が進められ、今後起こりうる災害に対して万全の姿勢をとっている状況です。」

飯沼さんは現在、福島県立福島商業高校で常勤講師として勤務しています。東日本大震災は成長期の高校生の生活と心にも大きく影を落としています。「指導にあたっては『社会で通用する人間』を一つの軸に指導しているつもりです。高校生の時期というのは、身体以上に心が成長していく時期なんだと考えています。この時期に高校生たちに対して正しい方向を指し示してあげるのが、私の務めなのだと捉えています。震災の影響に関しては、運動能力が低下してきているのではないかと感じています。福島県内の児童生徒は放射線の影響により、屋外での活動自粛を余儀なくされました。その影響もあってのことなのかなとも感じています。これから先、このような生徒が増えていくのではないかと懸念しております。」

「とはいうものの、私の指導するバレー部では『被災者に元気を与える』とか『被災地に勇気を届ける』とか絶対に口にしないようにしています。震災にかこつけてバレーをさせたくないという思いと、前までと何も変わらず当たり前の姿でいることが一番のメッセージだと思っているからです。」

自身が高校生だったころから10年以上がすぎて、指導して接する高校生の気質も大きく変わりとまどう場面もときにあるといいます。「内向的、おとなしい、内気。言い換えれば、それが『やさしい』なんて言葉で長所に聞こえたりするのかもしれませんが、一長一短のむしろ「短」の方が強い気がします。チームを指導していても、もっとガツガツしててほしいと切に思います。勝負しにいかない。人まかせにする。チーム内で意見をぶつけ合わない。見ていて憤りを感じることが多々あります。そして、何でも親任せにする。ちなみに私のチームでは、親に車で送り迎えをしてもらうことは厳禁です。何でも自分でやれるようになるきっかけ程度の部則ですが。ゆとり教育を履き違えて教育を受けてきてしまった生徒たちへ自立の方向を指し示してやるのも私たち教師や指導者の役目なのだと思います。」

飯沼さんはなんとしても早稲田に進みたくて、1年目は受験に失敗、浪人生活を経て平成14年に早稲田に入学、バレーボール部に入部しました。「強豪大学の部に所属して、全国クラスの人たちとバレーがしたかったからです。入部して良かったことは全国レベルのバレーを肌で感じ取れたことです。『バレーボールを楽しむこと』は今の私の指導する糧にもなっています。意外にも、同期生を始めメンバーがみんな「バカ者」ばっかりだったこと、バレーにしても何にしても馬鹿がつくくらいに極めていました。まぁ、そこが早大バレー部の好きなとこですけど。」

早稲田を志望して、早稲田で4年間学び、そして社会人になったことをふり返って、あらためて早稲田のよさを感じるといいます「人生のなかでなにものにも代えられない色濃い4年間を過ごせたことです。そのなかで、在籍中は気づきませんでしたが知らぬうちに自主性や挑戦する姿勢が備わっていったことでしょうか。私のなかで『早稲田らしさ』とはいつでも前を向いていることだと思っています。良かった思い出は、最高の仲間に出会えたことです。そしてその仲間たちと最後に東京体育館のセンターコートに立てたことです。あのときはセンターコートで銅メダルをかけさせてもらいました。そうした経験もあり、いつか一番いい色のメダルを首にかけたい、いや、指導者として高校生の選手の首にかけてやりたいと思うようになりました。当時の早大バレー部の仲間や監督の目の前で、指導者として優勝を果たすことが私の目標です。いっぽうで、やはり1年生の下積み時代は苦しかった。毎日緊張していた1年間だったのを覚えています。」

現役の選手へ、久々の優勝へ期待を膨らませています。「選手のみなさんの活動はインターネットや雑誌で拝見しています。去年のインカレの結果や今年の春リーグの結果を見ると日本一を目指していい位置にいると思います。是が非でも日本一に輝き「早稲田から世界」を目指して下さい。福島の地から応援しています。」

長く苦しい復興の道を、バレーボールを携えて選手と一緒に歩む。これからも、早稲田バレーは、飯沼さんをはじめ被災者への支援の心を忘れないようにしていきたいと思います。

飯沼康太さん(いいぬまこうた)

2001年(平成13年)3月に福島県立福島高校卒業、翌年4月に早稲田大学人間科学部入学、バレーボール部入部、ピンチサーバーとしてリーグ戦で活躍し、全日本インカレ3位に貢献した。2006年(平成18年)4月に福島県教員に就き、現在福島県立福島商業高校教諭で高校生にバレーボールを指導している。

 

早稲田大学バレーボール部

 about  
 早稲田大学

WASEDA UNIVERSITY VOLLEYBALL CLUB 

早稲田大学バレーボール部男子は、昭 和6年(1931)創部、翌昭和7年(1932)関東学生排球連盟が結成され、早大の公式試合の初参加となる関東学生春季リーグに出場。昭和9年 (1934)春リーグで初優勝、昭和10年(1935)春季から昭和16年(1941)秋季リーグまでリーグ戦14連覇の偉業を果たし、戦前の日本のバレー ボール界をリードしてきた。また戦後も、昭和23年の第1回全日本大学選手権で優勝、昭和28年(1953)単独で渡米し全米選手権に出場し、世界の主流 であった6人制バレーを体得、日本へ持ち帰り、6人制のパイオニアとなった。関東大学リーグ優勝23回、全日本大学選手権優勝3回、準優勝3回。2012年度全日本大学選手権 第3位、2013年度秋季関東大学リーグにて27年ぶりの優勝を、また同年全日本大学選手権で61年ぶりの優勝を果たした。伝統ある定期戦は、慶応義塾大学との「早慶戦」(2013年度、第77回)、関西学院大学との「早関戦」(同、第65回)、OBも加わって競う「全早慶明」(同、第66回)の定期戦がある。2013年度、男子は関東大学リーグ1部リーグに、女子は2部に所属。毎年、リーグ戦優勝と学生日本一をめざして、学生自主のもと、鍛錬している。

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