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item1h3a1c1b2a3a1b3b1a3a3a1a1 えんじの人々( 14)読者と同じ目線の作家になりたい 

志川節子さん(男子部マネージャー・平成5年第一文学部卒業)

2013年7月掲載

志川節子さんは、2003年、「七転び」で第83回オール讀物新人賞を受賞し、2013年、『春はそこまで 風待ち小路の人々』で第148回直木賞候補になりました。早稲田出身の作家は古今たくさんいらっしゃいますが、バレーボール部の卒業生では異色ではないでしょうか。江戸庶民のささやかな喜びや悲しみを題材に素晴らしい時代小説を書いていらっしゃいます。

早稲田を卒業後、思いがけないきっかけで作家をめざしたそうです。

「卒業後は都内の会計事務所に就職し、そこで知り合った人と結婚しました。相手の書棚にずらりと並んだ池波正太郎作品を読み始めたところ、その面白さにすっかりはまり、自分でも書いてみたいと思ったのが、時代小説を書き始めたきっかけです。その後、出版社が主催している短編の新人賞をいただいてデビューしました。信条といえるようなたいそうなものはないのですが、読者と同じ目線に立って、一緒に歩いていけるような小説を書ける作家になりたいです。」

島根県から、自由な校風にあこがれて早稲田を志望、第一文学部に入学しました。「中学、高校時代はバレーボール部ではなく、美術部や演劇部に所属し、また小さい頃からエレクトーンを習ったりして、100%文化系の人間でした。大学に入るとその反動で、『きちんとしたルールがあり、はっきりと勝敗がつく』世界をのぞいてみたくなりました。とはいえ、運動センスはまったく持ち合わせておらず、自分がプレーすることなんて考えられない。そんな時、文学部キャンパスの掲示板に貼られていたバレーボール部のポスターに『男子部、女子マネージャー募集』とあるのが目に留まり、その手があったか、と思って入部しました。」

「文化系の人間がいきなり運動部に入ったのですから、すべてが新鮮でした。意外だったのは、男子部の女子マネージャーが私一人だったこと。はじめは戸惑いましたが、男子部だけでなく女子部の先輩方や同級生も気を遣ってくださって、しぜんに溶け込むことができました。四年生になって、女子マネージャーの後輩ができたときは、それはそれは嬉しかったです。」

高校生に対する受験勧誘や指導、部の運営事務作業が、マネージャーとしての主な仕事でした。「印象に残っていることとして、一年生の正月に参加した勝浦合宿があります。部員たちに混じって、砂浜を何kmか走りました。正月から走っている自分に驚きつつ、でもこれで男子部の一員になれたような気がしたことを覚えています。」

「学生の四年間は、リーグ戦の一部と二部を行ったり来たりしていましたので、入替戦をわりと経験しています。私はコートの外から応援することしかできなかったので、そのあたりは歯がゆかったですが、一部昇格を決めて狂喜する部員たちを見ると涙が出てきました。はっきりと勝敗がつく世界は、見ていてわかりやすい半面、過酷なものでもあるとつくづく感じました。それだけに、精神的にタフで、切り替えが早く、前向きな部員が多かったと思います。私は男子部に所属していましたが、ロッカーは女子の部室にありましたので、女子部員とも親しくなれました。男女を問わず多くの知人、友人にめぐまれたことは、私の財産です。『絶対にあきらめない、粘り強さ』が早稲田バレーの身上ではないかと思います。」

“一枚のポスター”がきっかけで入部した早稲田でバレーをしたことで、今の作家活動にもつづく大切なものを手にすることが出来たと言います。「小説を書くときは一人の作業ですが、書いたものが一冊の本になるまでには、担当の編集者をはじめさまざまな人たちとの連携が必要となります。スパイカー一人では試合にならないように、作家一人では何もできません。バレーボール部でチームワークの大切さを見てきたので、作家の仕事も周囲とのチームプレーで成り立つのだということを、すんなりと理解できました。時代小説を書くにはとにかく史料を調べるのですが、バレーボールと授業のあいまにレポート作成のため図書館に通った経験が、非常に役立っています。」

最後に「現役学生のみなさんは、バレーボールに限らず、興味があることには何でも挑戦したほうがいい。芽が出るか、とか、目先の成果は関係なく、気が済むまでとことんやってみる。そうした経験が、自分の土壌をふくよかにしてくれるはずです。早稲田に進学していちばんよかったと思うのは、「人との出会い」です。諸先生方、先輩、同級生、後輩……。すばらしい仲間とめぐり合って、四年間バレーボールに打ち込める幸せを、ぜひ早稲田大学で味わってください。」としめくくっていただきました。

 

志川節子さん(しがわせつこ)

1989年(平成元年)3月に島根県立浜田高校卒業、4月に早稲田大学第一文学部入学。男子バレーボール部にマネージャーとして入部、平成2年度秋季リーグ戦での1部復帰などでチームを支えた。1993年(平成5年)3月に卒業。会社勤めを経て、 2003年(平成15年)に「七転び」で第83回オール讀物新人賞を受賞、2012年下期(平成24年)に『春はそこまで 風待ち小路の人々』で第148回直木賞候補になる。

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早稲田大学バレーボール部

 about  
 早稲田大学

WASEDA UNIVERSITY VOLLEYBALL CLUB 

早稲田大学バレーボール部男子は、昭 和6年(1931)創部、翌昭和7年(1932)関東学生排球連盟が結成され、早大の公式試合の初参加となる関東学生春季リーグに出場。昭和9年 (1934)春リーグで初優勝、昭和10年(1935)春季から昭和16年(1941)秋季リーグまでリーグ戦14連覇の偉業を果たし、戦前の日本のバレー ボール界をリードしてきた。また戦後も、昭和23年の第1回全日本大学選手権で優勝、昭和28年(1953)単独で渡米し全米選手権に出場し、世界の主流 であった6人制バレーを体得、日本へ持ち帰り、6人制のパイオニアとなった。関東大学リーグ優勝23回、全日本大学選手権優勝3回、準優勝3回。2012年度全日本大学選手権 第3位、2013年度秋季関東大学リーグにて27年ぶりの優勝を、また同年全日本大学選手権で61年ぶりの優勝を果たした。伝統ある定期戦は、慶応義塾大学との「早慶戦」(2013年度、第77回)、関西学院大学との「早関戦」(同、第65回)、OBも加わって競う「全早慶明」(同、第66回)の定期戦がある。2013年度、男子は関東大学リーグ1部リーグに、女子は2部に所属。毎年、リーグ戦優勝と学生日本一をめざして、学生自主のもと、鍛錬している。

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