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item1h3a1c1b2a3a1b3b1a3a3a1a1a1a1  えんじの人々(18)「早稲田バレーはスマートでない、泥臭いバレー」

中村貴司 さん(昭和62年教育学部卒業)

2013年11月掲載

戦前常勝だった早稲田大学バレーボール部は、戦後1953年(昭和28年)を最後に関東大学リーグ戦の優勝から遠ざかり、ようやく1986年(昭和61年)の春季リーグで33年ぶりに復活して優勝しました。今年の秋季リーグ戦ではさらに27年ぶり54シーズンぶりに優勝を果たし、現役と卒業生(稲門バレーボール倶楽部会員)が肩を組んで“都の西北”を歌うことができました。1986年の昭和最後の優勝は、「韓国から“アジアの大砲“姜萬守さん(昭和62年教育学部卒業)が留学入部して早稲田の主軸となりスパイクを決めまくった!ことが大きいのだ」、とよく言われています。しかし、実は姜さんの強打を切り札に三浦康太郎主将(昭和62年教育学部卒業、現在稲門バレーボール倶楽部指導委員長)がチームをよくまとめあげて、コートの6人と控え選手そしてスタッフが十二分に力を発揮できたからというのが事実のようです。「早稲田大学バレーボール部70年史」のなかで、三浦さんはこう書いています。

「私達の年を語るとき“33年ぶりのリーグ優勝”と”アジアの大砲姜萬守“は語り草になりますし、数々のピンチを救った姜萬守の活躍は誰もが認めると思います。(中略)しかし、私は春季リーグを優勝に導いた真の原動力はその当時の古市監督であり、小宮ヘッドコーチ、そして諸先輩方が培ってこられた早稲田パワーがあったからこそと確信しています。」

そのスパイカーたちを自在に操ったセッターの中村貴司さん(昭和63年教育学部卒業)は、大学卒業後実業団のNEC(当時日本電気)に進みセッターとして活躍、その後、チームマネージメントスタッフとして内外のバレーボール事業にかかわり、現在はNEC女子バレーボール部「レッドロケッツ」のゼネラルマネージャーとして手腕を発揮しています。中村さんに、学生時代の早稲田バレー、学生スポーツの理想、そして日本のバレーボールの将来などについて、実社会の経験をもとにお話を聞きました。

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中村さんは、東京の強豪東亜学園でセッターとして頭角を現し、1983年(昭和58年)の春の高校バレー全国大会で優勝、当時2部だった早稲田にあえて進み1年生でレギュラーセッターになりました。

「もともとは体育の教員になりたいと思っていました。教職が取得できる大学の中で早稲田を選んだ理由としては、伝統もあり文武両道のイメージが非常に強かったからです。2部とはいえ、高校よりもひとつ上のステージである大学バレーへチャレンジする気持ちで、入学しました。振り返ると、高校時代も猛練習でしたが、大学に入っての練習も厳しく、体力・気力など高校時代とは違う次元であり、大きな差を感じました。当時の早稲田の練習の特徴はというと、最上級生である4年生が中心となり学生自身が練習メニューを組み、それを実行していくというのがスタイルでした。それと並行してOBの方々が情熱を持って指導してくださることが早稲田の特徴だといえたでしょう。早稲田に入学して感じたことは、先輩後輩との縦横のつながりが重要だとされたことです。良くも悪くも”先輩と後輩”であり、それを学生時代に実感できたことが社会でも役に立ち非常に助かっています。そして、社会人になっても企業の中に稲門会があり、早稲田の絆を強く感じています」

早稲田バレーとはなんでしょうか?

「決してスマートではない、とにかく泥臭いところが早稲田のイメージでもあり、それが早稲田の良いところであり好きなところです。バレーボールのスタイルでいうと、粘り強く、1つのボールに対して仲間の気持ちが集約され、それをつなげていくことが早稲田バレーの真骨頂と言えるでしょう。単にバレーボールの技術を高めてくれる、というよりも、大きく言えば人間成長を促し人間として成長させてくれるということです。まだ未熟である学生を自然と大人への階段を上らせ、一歩ずつ社会への準備を進めてくれる。それが先輩であり、OBの良き存在でした。早稲田バレーに足りないものは、いつも部員の数でした。限られた部員のあいだで役目を分担して、きちんと自分の責任を果たすことが大事でした。」大会会場で大人数で組織立って応援するほかのチームをうらやましく思うのは、いつの時代も早稲田バレーを経験した全員が感じてきたことなのではないでしょうか。

「大学に入部した時点では2部リーグに在籍していました。入れ替え戦初の挑戦で1部に昇格した時(1985年春季)と33年ぶりに1部でのリーグ優勝を果たしたこと(1986年春季)が思い出として強く心に残っています。苦しく辛いことも数えきれないくらいたくさんありましたが、今思えばそのすべてが良い経験でした。人生でかけがえのないものだと思います。」

「大学バレーと実業団のバレーはずいぶん違います。生活の一部分そのものがバレーボールとなっていて、大学以上に会社のブランドを背負う重要な仕事だということ。“実業団のバレー=企業のバレー”だといえます。給料をもらいながらバレーボールをやるということは、必ず結果を出さなければならず、試合とは違った意味でのプレッシャーも正直ありました。」

早稲田大学バレーボール部は、今年秋季リーグ戦を制して関東では頂点に立ちました。いよいよ全日本大学選手権まで1か月を切りました。現役選手とスタッフは、これまで以上にミーティングを重ねてコミュニケーションをとっているはずです。

「インカレ優勝を目指すためには、技術的にも精神的にも試合までの準備をしっかり整えることが最重要課題です。冷静かつ、思い切りのいいプレーで頂点を目指してください。」

「学生の4年間に是非やっておいてほしいこと、それは自身のビジョンを明確に描いて突き進んで欲しい、ということ。そして、仲間との絆を深めいろんな人たちとの人脈形成を学生時代から少しずつでも築きあげて欲しい。」

2020年には東京五輪が開催されます。予選がないので日本は男女とも必ず出場できます。あと7年、日本のバレー界がやるべきことはなんでしょうか?

「バレーボール界全体にはやらなければならいないこと、考えなければいけないこと、たくさんあると思います。しかし、知恵を絞って、工夫をすることで成し遂げられることは多くあると思います。ぜひとも、東京五輪ではメダルを期待したいです。」

「早稲田は学生スポーツ界の中心であり、早稲田が勝利すれば学生スポーツの人気、レベルも上がると確信しています。それこそが日本のバレー界のみならず、日本のスポーツ界を底上げする近道と言えるのではないでしょうか。」

7年後、東京五輪のバレーコートで活躍するワセダマンの誕生を期待したいと思います。

 

中村貴司さん(なかむら たかし)

1984年(昭和59年)3月に東京都東亜学園高校卒業、高校在学中は第14回春の高校バレーで全国優勝して高校選抜に選ばれる。同年4月に早稲田大学教育学部に入学。在学中は1年からレギュラーセッター、1986年(昭和61年)の春季リーグで1部優勝。1988年(昭和63年)3月に早稲田大学を卒業し、実業団の日本電気株式会社(NEC)に入社、日本リーグ(現:Vリーグ)の初優勝に貢献するなど、黒鷲旗等の大会でも数回優勝、その後、コーチ・監督代行も務め、チームマネジメントスタッフとして活躍、現在、NECレッドロケッツ(女子)のゼネラルマネージャーを務める。

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早稲田大学バレーボール部

 about  
 早稲田大学

WASEDA UNIVERSITY VOLLEYBALL CLUB 

早稲田大学バレーボール部男子は、昭 和6年(1931)創部、翌昭和7年(1932)関東学生排球連盟が結成され、早大の公式試合の初参加となる関東学生春季リーグに出場。昭和9年 (1934)春リーグで初優勝、昭和10年(1935)春季から昭和16年(1941)秋季リーグまでリーグ戦14連覇の偉業を果たし、戦前の日本のバレー ボール界をリードしてきた。また戦後も、昭和23年の第1回全日本大学選手権で優勝、昭和28年(1953)単独で渡米し全米選手権に出場し、世界の主流 であった6人制バレーを体得、日本へ持ち帰り、6人制のパイオニアとなった。関東大学リーグ優勝23回、全日本大学選手権優勝3回、準優勝3回。2012年度全日本大学選手権 第3位、2013年度秋季関東大学リーグにて27年ぶりの優勝を、また同年全日本大学選手権で61年ぶりの優勝を果たした。伝統ある定期戦は、慶応義塾大学との「早慶戦」(2013年度、第77回)、関西学院大学との「早関戦」(同、第65回)、OBも加わって競う「全早慶明」(同、第66回)の定期戦がある。2013年度、男子は関東大学リーグ1部リーグに、女子は2部に所属。毎年、リーグ戦優勝と学生日本一をめざして、学生自主のもと、鍛錬している。

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