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えんじの人々(20)「4年間バレーに打ち込め」松永 健太 さん(平成19年スポーツ科学部卒業)

えんじの人々(21)「学生主体を信じて」二木 健太 さん(平成19年スポーツ科学部卒業)

 

2014年1月掲載

2013年度、早稲田大学バレーボール部は、27年ぶりの関東大学リーグ戦優勝、そして実に61年ぶりに大学選手権(インカレ)を制して、学生チャンピオンになりました。8年前2005年度、早稲田は、関東大学秋季リーグ戦で当時のトップ東海大を抑えて久方ぶりにリーグ戦2位に食い込み、大学選手権でもセンターコートで堂々戦い3位になりました。翌2006年も早稲田はインカレで2年連続で3位に入りました。そのときの主力でともに4年生、キャプテンの松永健太さんと大型ブロッカーで主軸を組んだ二木健太さん。お二人は卒業後もバレーボールを続けようと実業団に進みました。この「 W(ダブル)健太コンビ」に、早稲田バレー復活の情熱とヒントを聞きました。

(別々のインタビューを再構成しました)

 

Q早稲田が学生日本一になりました。

松永>現役のみなさん、秋季リーグおよび全日本インカレ優勝おめでとうございます。

今年は、春季リーグの開幕戦とインカレ決勝を観戦しましたが、春リーグと比較しますと見違える程チームの完成度が高かったと思います。早稲田の伝統である、粘り強いレシーブと高速コンビバレーが印象的でした。その上で、選手一人一人が冷静かつ積極的なプレーを展開しており、日本一に相応しいチームであったと思います。とくに、最上級生である4年間の想いが結果に結びついた試合と感じました。

二木>全日本インカレ優勝、本当におめでとうございます。OBとして嬉しく、そして誇らしく思います。残念ながら応援に行くことはできませんでした。実業団のサントリーサンバーズ在籍中には、毎年夏に大阪へ遠征し、サントリーのホームの体育館で強化合宿をし、サントリーと強化試合を交わした選手も何人もいます。卒業後もずっと早稲田がいつも気になり応援していたので、優勝を知ったときは非常に嬉しかったです。

 

Qお二人が4年生最後のインカレ(2006年度全日本大学選手権大会)では苦戦が続きました。準々決勝で中央に先に2セット取られて絶体絶命から大逆転しました、同じく今年も準々決勝の筑波戦でフルセット12-10から逆転しました。

松永>全日本インカレは、4年生にとっては最後の大会なので特に力の入る大会でした。トーナメントで一発勝負なので、チームの調子をピークにもってくるのに苦労したことを覚えています。私が1年生の時は1回戦敗退、2年生の時は、ベスト16で敗退と、この大会の怖さも知っていましたので、1試合1試合、とにかく全力で試合に臨みました。ベスト16の大阪商業大学戦が最初の山でした。当時、菊地監督(菊地巌さん・昭和54年卒)は仕事がありどうしてもベンチに座れず、監督そしてコーチも不在で、とても不安でした。しかしながら、4年生を中心にとにかく盛り上げて試合に臨んだところ、最高のゲームを展開することができ、ストレートで勝利することができました。チームが本当に1つになったなと感じた試合でもありました。1点入るごとに主務が監督にメールで報告していことは後で知りました。おそらく、菊地監督が一番不安だったのだと、思います。続く準々決勝は中央大学戦でした。全日本のエース福澤選手を軸にした強豪チームでした。この試合は、気合が空回りしたせいか、相手に先に2セットとられてしまい、次のセットも劣勢が続く絶対絶命でした。3セットのタイムアウト中に、ここで引退だと思った瞬間、自然に涙が出てしまい、同期や後輩に怒られたことをよく覚えています。その後は、とにかく無我夢中にプレーをし、相手の福澤選手の強烈なスパイクに対して、こちらは全員バレーで対抗し、3セットを取り返しました。5セット目もジュースとなり大接戦の中、最後の1点をもぎ取ったときは、選手、スタッフ全員で号泣しました。長いバレーボール人生で勝利して泣いたのは、この試合が最初で最後でした。

二木>私も、4年生最後のインカレの時のことを強烈に覚えています。準々決勝の中央大学戦、2セット先にとられるビハインドからの大逆転勝利で、試合後は鳥肌が立ちました。その勝利でチームに勢いが付き、だんだんチームの状況もが良くなっていくのをコートの中で実感していました。 準決勝・3位決定戦のセンターコートの情景は今でも鮮明に覚えています。私自身は少々舞い上がっていたような記憶があります。準々決勝の試合中、松永君が劣勢時に涙を見せたとき、主将として重圧や責任感を感じていたのだろうなと思いました。私含め、非常に個性が強いメンバーだったので、それを纏めなければいけない松永主将は大変だったろうなと今になって強く思います。

松永>その後、準決勝で東海大学には残念ながら敗退したものの、3位決定戦で日本体育大学に競り勝って、3位入賞を果たすことができました。当時をふりかえれば、中央大学の福澤選手、東海大学の富松選手、清水選手、筑波大学の永野選手、日本体育大学の米山選手と今の全日本の選抜メンバーが勢ぞろいであり、大学生全体のレベルも高かったのかもしれません。そうしたなかで、インカレ3位の成績を残せたことは、早稲田伝統の全員バレーの成果だと思います。

 

Q松永さんは3年生のとき、インカレと就職活動がぶつかり、やむなく二次面接を見送って大会に出場しましたね。

松永>たまたまインカレの準々決勝と面接が重なってしまいました。インカレは4年生最後の大会ですし、当然、試合を最優先しました。面接先の会社の人事の方にその旨を伝えて「面接の日程を変更できないか」とお願いしましたが、逆に「面談を延期してほしいなんて、他の学生では有り得ない」とあきられました。『縁がなかったんだ、試合の大切さを理解してもらえなかった』と自分に言い聞かせて割り切ることとしました。

Q早稲田に進学しようと思った動機は何だったのですか?

二木>そもそもバレーボールを始めたのが高校(北海道立旭川東高校)からで、しかも決して強くないふつうの公立高校だったので、入部当初はバレーで進学するとは微塵も思っていませんでした。そんな中、高校3年時に早稲田大学の菊地監督(菊地巌さん・昭和54年卒)が旭川まではるばる来てくださり、早稲田大学からの推薦入学試験のお話をいただきました。その時は驚きと喜び、そして自分がやっていけるかどうか不安を感じたのを覚えています。

松永>もともとは、体育の先生になりたい、バレーの強豪校に進学したいと漠然と思っていました。しかし、私の出身高校(静岡県立浜松北高校)は、特にバレーが強いというわけではありませんでしたので、国立大学を受験しようと考えていました。そのときに、早稲田のOBの安藤さん(安藤文彦さん・昭和54年卒)が地元の浜松まで、スカウトに来ていただいたのが早稲田を志望したきっかけです。安藤さんからは、早稲田であれば、『教員はもちろん一般の就職やバレーを続けるなど選択肢がたくさん広がる』『伝統ある早稲田で活躍して欲しい』とご教示頂き、早稲田を受験することにしました。

Q入学してみて、早稲田はどうでしたか?

松永>高校時代に全国レベルの強豪校出身者ばかりでなく、勉強を優先させていた者や一般入学の学生たちが混じり合って、画一的になることなく、皆で日本一をめざし切磋琢磨していく、それが早稲田の特徴でした。そんな組織の中で、自分自身の役割を見出してひとつひとつ実行していくこと、この積み重ねが組織を強くし、部員一人一人を成長させていくものだと、4年間を通じて感じました。

二木>早稲田の良さは、学生主体で考えて練習を組み立てるスタイルなのです。他校にはあまりない形だと思うので、これを信じて結果が出たときは嬉しかったです。と言う私は、私は練習メニューの組み立てにはなかなか参加できていませんでしたが・・・。私はなかなか試合に出られず下積みも経験しました。技術面も体力面も基礎が全くといっていいほどなかったので、入学当初は苦労しました。試合に出させてもらうようになって「見ているより出た方が数万倍楽しい」ということに気付き、4年の後半は特に充実した時間を過ごすことができました。練習に打ち込んだ日々もいい思い出ですが、体育館をはなれた外でもいろいろ楽しい経験がありました。人生の中で非常に貴重な4年間だったと思います。あの頃、一緒に“バカやった仲間”は、今でも大切な仲間たちです。

松永>選手がとことん考えて、自分達でチームを作りあげること、これは早稲田でしか経験できないことだと思います。

自分自身の反省も含めてですが、早稲田バレーは、学生スポーツの中心・核となって、意識を高く持ち、活動しなければならないと思います。『早稲田バレーはすごい。やはりバレーはすばらしい!』とたくさんの人に思ってもらう。あるいは、高校生誰もが早稲田に入りたいと思います。このようなチームをぜひ目指して欲しいものです。そうなるためには、実力、成績、組織、現役OBの結束力、常勝・・・・まだまだたくさんの課題があると思います。

Qお互いに「健太」と名前が同じです。最初の印象はどうでしたか。

松永>二木君はとにかく背が高くてすごいプレーヤーだと思いました。ポジションは違いましたが、お互いに切磋琢磨して頑張れれば!という想いでした。

二木>松永君は、同級生のなかでは一番早い時期からレギュラーとして試合に出ていたので、自分には刺激にはなっていました。

 

Q 現役4年間で最大の思い出は何ですか?

松永>主将を務めて、引退するときに同期や後輩に『ありがとう、お疲れ様』と言われたことが一番の思い出です。あとは、下級生時代に先輩に怒られたこと・試合に勝ったこと、負けたこと・紺碧寮で騒ぎすぎて反省文を書いたこと、すべてが思い出です。苦しかったことは、やはり主将となり責任ある立場の中で、一歩間違えれば、2部降格も有り得るというプレッシャーがあったことだと思います。特に、3年生の時に先輩方が素晴らしいチームを作って、リーグ2位、インカレ3位と当時では最高の成績を収めたこともあって、更にプレッシャーに感じていたからです。

 

Q お二人は、大学を卒業して社会人になってもバレーボールを続けている(続けていた)わけですが、学生のバレーと違うことは何ですか?

二木>私は、実業団のトップリーグに在籍するチームにいました。その意味では、バレーボールでお金をもらっているということ、収入を得ているということです。単純なことですが、この違いは年次を追うごとに重みを感じるようになりました。最初はその自覚が足りず、入社後しばらくはよく怒られていました。

松永>当社のバレー部の部員全員が『東京海上日動』の社員であり、普段は普通のサラリーマンとして働いています。バレーボールも週に1回の練習で、この練習の日も業務等で中々メンバーが集まりません。更に、日本全国、世界各国に転勤がありますので、バレーができる期間もわずかなである部員も多いです。このような状況の中で悪戦苦闘しながら、地域リーグに所属し、社会人バレーを続けています。これも卒業後にもバレーを続けるひとつのやり方だと思います。

 

Q現役の学生にメッセージをお願いします。

二木>同級生とのつながり。多方面の友人を多く作り、キャンパスライフを謳歌して欲しいと思います。同級生の活躍は刺激になりますし、そのつながりは必ず今後の自分のためになります。私は友人が比較的少なかったので余計にそう思います…。

会社の内外で早稲田大学出身者と出会うことがよくあります。優秀な方々も多く、ワセダというものの強さを感じることがあります。自分自身もワセダバレー出身者としてそれに恥じない活動をしなければならないと思っています。そう思える力が早稲田大学にはあると思います。

松永>今年、リーグ戦、インカレ共に優勝という素晴らしい成績を残した後ですので、主将をはじめ、上級生には大きなプレッシャーがあると思いますが、チャレンジャー精神を忘れずに上級生を中心にチーム一体となって、連覇を目指してもらえればと思います。

『本気でバレーボールを打ち込めるのはこの4年間しかない!』という熱い想いを持って欲しいことです。

また、私の現在の想いは、3つあります。

①早稲田バレー部のOBとして、当社に入社した人間として、一生懸命働いているつもりです。それは、後に続くかもしれない後輩たちのために、という思いを持っています。

②早稲田バレー部への恩返しという点では、就職した会社で役に立つことが最大の恩返しであり、社会の役に立つことが、早稲田バレー部の価値を高めていくことと信じています。

③OBとして、あまり現役の皆様や早稲田バレーに役立つことができておりませんが、出来る限りのことはやりたいと常に思っています。

 

松永健太さん(まつなが けんた)

2003年(平成15年)3月に静岡県立浜松北高校卒業、高校在学中は国体選抜チームに選ばれてベスト8。同年4月に早稲田大学スポーツ科学学部に入学。在学中は2年からレギュラーでサイド、2005年(平成17年)の関東大学秋季リーグ戦で2位、全日本大学選手権3位。翌年主将としてチームをまとめ2006年(平成18年)の全日本大学選手権3位。2007年(平成19年)3月に早稲田大学を卒業し、東京海上日動火災保険株式会社

に入社、地域リーグなどに在籍し、現在も現役選手として競技している。

>>東京海上日動火災保険株式会社のホームページへ

 

二木健太さん(にき けんた)

2003年(平成15年)3月に北海道立旭川東高校卒業、高校在学中に高校選抜と全日本ジュニアに選ばれる。(大学1年時も全日本ジュニア)。同年4月に早稲田大学スポーツ科学部に入学。センターポジションとして活躍、2005年(平成17年)の関東大学秋季リーグ戦で2位、全日本大学選手権3位。2006年(平成18年)の全日本大学選手権3位。2007年(平成19年)3月に早稲田大学を卒業し、実業団プレミアリーグのサントリー株式会社

に入社、2007年にユニバーシアードバンコク大会に出場、サントリーサンバーズは2010年度の天皇杯優勝。2012年度で引退し、現在はサントリービア&スピリッツ株式会社千葉支店にて社業に専念している。

>>サントリーホールディングス株式会社のホームページへ

>>サントリーサンバーズのホームページへ

早稲田大学バレーボール部

 about  
 早稲田大学

WASEDA UNIVERSITY VOLLEYBALL CLUB 

早稲田大学バレーボール部男子は、昭 和6年(1931)創部、翌昭和7年(1932)関東学生排球連盟が結成され、早大の公式試合の初参加となる関東学生春季リーグに出場。昭和9年 (1934)春リーグで初優勝、昭和10年(1935)春季から昭和16年(1941)秋季リーグまでリーグ戦14連覇の偉業を果たし、戦前の日本のバレー ボール界をリードしてきた。また戦後も、昭和23年の第1回全日本大学選手権で優勝、昭和28年(1953)単独で渡米し全米選手権に出場し、世界の主流 であった6人制バレーを体得、日本へ持ち帰り、6人制のパイオニアとなった。関東大学リーグ優勝23回、全日本大学選手権優勝3回、準優勝3回。2012年度全日本大学選手権 第3位、2013年度秋季関東大学リーグにて27年ぶりの優勝を、また同年全日本大学選手権で61年ぶりの優勝を果たした。伝統ある定期戦は、慶応義塾大学との「早慶戦」(2013年度、第77回)、関西学院大学との「早関戦」(同、第65回)、OBも加わって競う「全早慶明」(同、第66回)の定期戦がある。2013年度、男子は関東大学リーグ1部リーグに、女子は2部に所属。毎年、リーグ戦優勝と学生日本一をめざして、学生自主のもと、鍛錬している。

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二木さん(左)と松永さん、2014.1.18リーグ戦とインカレ祝賀会場にて