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item1h3a1c1b2a3a1b3b1a3a3a1a1a1a1a1  えんじの人々(22)「被災地で教えること」

伊藤 康宏 さん(平成25年スポーツ科学部卒業)

2014年2月掲載

早稲田大学バレーボール部が、今年度秋季リーグ戦と全日本大学選手権で優勝できたのは、4年生が自覚して心身ともに成長し、学生主体のチームをまとめることが出来たのが、大きな理由です。その4年生を昨年度主将として引っぱった伊藤康宏さん(平成25年スポーツ科学部卒業)は、卒業後地元岩手県で教職に就いています。勤務先は、東日本大震災で大きな被害をうけた沿岸部の大槌町にある岩手県立大槌高校です。なぜ今年「ワセダバレー」が開花したのか、まもなく震災から3年を迎える被災地の状況とあわせて、伊藤さんにおはなしを聞きました。

 

Q東日本大震災から3年近くたちますが、大槌町周辺の復興の状況はいかがですか。

震災直後に目にしたときは瓦礫の山でしたが、全国各地のみなさんのご支援により、現在は撤去され、綺麗な状態となりつつあります。しかし、撤去はされたものの、何もないといった状況です。瓦礫を収集する場所では、毎日深夜まで工事が行われ、いつも砂埃がたっています。鉄道(JR東日本・山田線)も以前は走っていましたが、いまでは線路は切断され、復旧されている様子もなく、大槌に住んでいる人の交通手段は数少ないです。生徒の6割もまだ仮設住宅に住んでいるといった現状で、そういった点では、まだまだ震災から変化がないというような状況だと思います。

 

Q東日本大震災のときのことをお教えください、実家、身の回り、知人などの状況はいかがでしたか。

私の実家は内陸部(盛岡市)だったので、さほど大きな被害はありませんでした。しかし、両親とは二日ほど連絡が取れず、そのことはすごく不安でした。二日後に連絡が取れたのも、両親本人ではなく、電話番号もわからない東京に住んでいる親戚から「お父さんは元気だったよ」というものでした。また、父が陸前高田市、母が山田町(いずれも岩手県沿岸部)の出身だったため、従兄弟や親戚は大丈夫なのかという不安もありました。母の実家の目の前まで津波は到達してきたようでしたが、大丈夫でした。しかし、父の実家は流され、亡くなった親戚も少なくありませんでした。

 

Q故郷の岩手県の教員を志望した動機はなんでしたか。

私は大学入学時から、岩手に戻って教員をするという進路をほぼ決めていました。小学校4年からバレーボールを始め、現在まで続けてきましたが、岩手のバレーに育てられました。小学校・中学校・高校と指導してくれた監督やコーチ、その他バレー関係者、そして今現在「岡崎建設owls」というバレーチームにも所属してプレーしていますが、その方々など、皆さんのおかげでバレーの技術はもちろん、人としてどうあるべきか、尊敬できる人に多く出会い、大人としてこうなりたいという思いを強く持ちました。そして社会人として私に出来ることは、育てて頂いた岩手のバレーに貢献すること、そして私と同じ思いを中高生にも抱かせることだと思い、岩手県の教員を志望しました。

 

Q最初の赴任地が、被災地でした、赴任した最初の印象はどうでしたか、いま高校生はどんな状況ですか。

高校生たちは、普通の高校生です。普通に生活して生徒と接していると、ここが被災地だということを忘れてしまうくらいに、元気で明るい高校生です。私も、勤務地が決まったときは、被災地で教えるということである程度の覚悟というか、身構えるところはありましたが、そんな心配もないくらい明るい生徒ばかりです。しかし、ふとした会話で「仮設から出たいな」などと言っているのを聞くと、思っていること、口には出せないことが多くあるのだろうなと考えさせられます。

 勤務してから生徒の気になる点は、否定的な言葉を多く使うところです。「俺には無理だ」と言ったり、「どうせできない、意味がない」といった発言がよく聞こえます。高校生全般的にそうなのかもしれませんが、否定的感情を抱く生徒が多い気がします。自分の可能性に気づいてほしいし、「自分もできるんだ」そんな感情をいろんな場面で引き出していけるような指導をしたいと思っています。

 

Q震災を経て、いまの岩手県全体の周囲の現況、街や経済はどうですか?

現在も、大槌小学校や大槌中学校では仮設のプレハブ校舎で授業をしています。大槌中学校サッカー部は、毎日部活動をするために高校グラウンドまで足を運んでいます。夏の水泳の授業では、大槌小学校が大槌高校のプールを借りて授業を行いました。今年全日本高校バレーボール選手権大会に岩手県女子代表として出場した高田高校も、大船渡市にある仮校舎で授業や部活動を行っています。震災前と同じような町にするためにはこれから何年かかるかわかりませんが、教育の場や生活できる場所は一刻も早く復旧していかなければならないと感じます。

いま岩手県の明るい話題といえばドラマ大ヒットの「あまちゃん」でしょう。「あまちゃん効果」で同じ被災地である久慈市は観光客も増え、町の活性化に繫がっています。また、2016岩手国体の開催も決定し、岩手全体で盛り上げようとした取り組みも各地で見られます。大槌町も、ソフトバレーボール競技の開催場所であるため、国体が何か復興の力となることを信じています。

震災を通じて、あんなにも突然に簡単に多くの人の命が失われました。私も知人を亡くしましたし、震災とは関係ないですが同時期に、同じ高校のバレー部のエースで一番仲の良かった同級生を亡くしました。その時期はすごく「死」ということに悩まされ、体調が悪くなることもありました。毎日普通に生活できること、友人や家族と会えること、それは当たり前ではなこと、よく言われることですが、ものすごく痛感させられました。私は、毎日悔いの無いように生活すること、伝えられることはそのとき伝えなければと感じさせられました。この経験を忘れず、震災を恨むのではなく、なにかのきっかけにしようと思っていますし、生徒にもそう伝えています。

 

Q 早稲田大学3年生のときに、被災地にボランティアへ行きましたね、その動機、印象について、とくに最初に被災地をみた時のことなどを教えてください。

東日本震災はわたしが大学2年生の最後の3月におきました。震災で地元のニュースが映るたびに、「岩手県へ帰るべきなのかもしれない」と考える事もありましたしかし、帰る交通手段もなく、両親には「帰ってきても東京に戻れなくなるよ」などと言われ、なかなか行動には移せずにいました。そんなある日、早稲田のバレー部のスタッフの方々や先輩方から、岩手県でボランティアをしてきたらどうか、という提案をいただきました。当時の村上広樹主務(平成24年卒業)が日程を調整してくださり、岩手でのボランティアが決定しました。その時バレー部で訪れた場所が、現在勤務している大槌町です。かつてはなんどか通ったことのある道でしたが、あまりにも変わり果てた土地に、バスに乗っていても、今どこをが走っているのか分からないような状態でした。建物は破壊され、いたるところに魚の死骸、町の中心部には津波で乗り上げた船がそのまま置かれていました。バスを降りたときの独特な臭いは、衝撃的でした。その日は主に瓦礫撤去をしましたが、近くでは自衛隊が捜索作業を続けていました。

 このバレー部でのボランティア活動がなければ、きっと私は岩手の被災の現状を見ずに生活していくことになったでしょう。今後の教員生活や人生に大きな影響のあるボランティア活動でした。そして現在私は、そのときにバレー部のみなで通った場所を毎日通勤し、作業した場所の真上にある学校で勤務しています。

 

Q今後、被災地の高校生をどのように指導教育していきたいですか。

高校生の彼ら彼女たちが経験したことや受けた感情は、計り知れないものだと思います。私が復興や震災のことを彼らの前で語るなど、正直できません。私は、被災地の高校生指導というのではなく、人としてどうあるべきか、社会貢献できる人間を育成できるように努力するだけです。

 

Q今年リーグ戦とインカレに優勝した後輩、現役へメッセージをお願いします。

リーグ戦優勝ならびに61年ぶりの全日本インカレ優勝おめでとうございます。きっと4年生が信念持って1年間頑張った結果でしょう。試合はテレビで観戦しましたが、優勝が決まっても淡々と喜んでいる姿を見て、優勝してもぶれずにいる後輩たちには王者の貫禄すら感じました。正直かなりうらやましいです。

 

Q昨年主将になって、チームをまとめる上で考えたことは?自衛隊での体験などこれまでにない試みもしましたね。

主将として、「どうやったら勝てるか、チームのみなが同じ気持ちになれるか」をずっと考えていました。同学年の選手やスタッフ、後輩たちとはたくさん話すことを心がけました。試合に出る選手は自分よりも下級生が多いチームだったので、いかに後輩たちを本気にさせるか、やってやるか、と思わせるかを考えました。何とかチームを同じ方向へと考えたときに出た案が自衛隊合宿でした。2泊3日の地獄のような合宿は、チームが変わるきっかけとなったのかもしれません。

 

Q今年の吉村主将や七里選手ら、主力の4年生は、昨年3年生の時はどうでしたか? 

3年間一緒にやってきましたが、1年のときより2年、2年より3年と毎年変わっていく姿が見られ、素晴らしいなと思っていました。もともと思っていることは口に出すことができ、自分の意志をしっかりともっている後輩たちでした。これだけ個性の強いチームをまとめ上げ、優勝まで導いた吉村主将は、すごく苦労しながら努力したのだと思います。それを支えた同じ4年生のメンバーも頑張ったのだろうなと思います。学年関係なく仲も良く、やるときはしっかりとやる、そしてチームが同じ目標に対して頑張る、という私が理想としたチームをつくった部員たちを本当に尊敬しています。

 

Q早稲田に進学し、バレーボール部に入部した動機、そして入部して感じたことは何ですか。

私は、さいしょは早稲田大学に入学したいとかしようとか考えたこともありませんでした。ただ、バレーがうまくなりたい、強いチームでやってみたいという想いは常にありました。そんな時早稲田の前監督である黒川貞生さん(昭和56年卒業)に出会っておはなしを聞き、早稲田大学の入学を決めました。私が高校3年生の時、全日本大学選手権(インカレ)準々決勝を見に東京体育館に行きました。高校バレーでは感じられない独特の雰囲気や迫力に圧倒されていたのを覚えています。そして、いつかこの体育館で、試合に出てこの雰囲気を味わいたいと、心から思いました。

「早稲田は学生主体」だ、と聞いていましたが、まさにその通りでした。全て4年生が考えて行動し、監督からは週末に指導を受けました。最初はそのスタイルに違和感を感じましたが、しだいに「自分でやらなければダメになるな」という、自覚を持つようになりました。そういった点で早稲田は、大人としての行動や自己責任、自立というものをすごく学べていたのだなと感じます。

現役4年間は苦しいことも、良い思い出も山ほどあります。インカレベスト8を1年生の時に早くも経験することができました。2年生で再びベスト8になったとき、初めてセンターコートに立ちたいという強い思いが生まれました。下級生の時にベスト8を経験したことで、さらに高い目標をもつことが出来ました。

そして最後のインカレではついにセンターコートにたつことができて、3位という成績を収めることができました。勝利の瞬間、表彰式、準決勝で負けた瞬間、インカレでの一瞬一瞬は、一生忘れることはないでしょう。

また、監督やOBの方々と接することで、卒業後にどういう人となるべきかをすごく学べたと感じます。メールの送り方や話し方、立ち振る舞いまで、社会人としての常識を教えて頂きました。

バレーボール部以外にも、早稲田の良さは他にも多くあると感じます。高い学問性、教授、専門領域など、もっとちゃんと聞いておけば良かったなと思う授業や、今なら「こんな事を教授に聞いてみたい」と思うことも多々あります。また、トップクラスの選手と友人になったり、幅広い分野での交流ができることも、早稲田の良さだと思います。卒業してからは、とくに「えんじのもの」に興味をもつようになりました。

 

Q新チームの選手たち、専田新主将らにメッッセージをお願いします

昨年の日本一の4年生を見習いつつ、自分たちのカラーを全面に出していって欲しいと思います。最高の瞬間をもう一度味わって下さい。同時に人として、大学生としてやるべき事はしっかりと行い、ぜひとも「できる男」になって下さい。

大槌町には、復興支援バレー教室で、JTサンダーズさんや全日本の越川優さんが来てくださいました。岩手県の他の地域でも、多くのバレー教室を開催しています。私が大学4年生の時には、早稲田大学の女子バレー部が岩手県でバレー教室を行いました。また、2016岩手国体のために、わが大槌高校は、昨年2度早稲田大学との練習試合を行わせて頂きました。こうしてバレーを通じて先輩や後輩に出会えること、岩手にいながらも多くの人とつながりを感じることが出来るという経験は、すごくうれしいことだと感じています。これからもバレーを通じての人との繋がりや、早稲田で学んだことを忘れず、日々精進したいと思います。

 

伊藤康宏さん(いとうやすひろ)

2009年(平成21年)3月に岩手県立不来方(こずかた)高校卒業、高校在学中は春高バレー全国大会ベスト32、高校選抜チームに選ばれる。同年4月に早稲田大学スポーツ科学学部に入学。在学中は1年からレギュラーでセッター、2009年度(平成21年度)と2010年度(平成22年度)全日本選手権大会ベスト8、4年生の時に主将としてチームを引っぱり、2012年(平成24年)の全日本大学選手権3位。2013年(平成25年)3月に早稲田大学を卒業し、岩手県立大槌高校に奉職。現在男子バレーボール部を指導している。

>>岩手県立大槌高校のホームページへ

>>岡崎建設owlsバレーボールチームのホームページへ

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早稲田大学バレーボール部

 about  
 早稲田大学

WASEDA UNIVERSITY VOLLEYBALL CLUB 

早稲田大学バレーボール部男子は、昭 和6年(1931)創部、翌昭和7年(1932)関東学生排球連盟が結成され、早大の公式試合の初参加となる関東学生春季リーグに出場。昭和9年 (1934)春リーグで初優勝、昭和10年(1935)春季から昭和16年(1941)秋季リーグまでリーグ戦14連覇の偉業を果たし、戦前の日本のバレー ボール界をリードしてきた。また戦後も、昭和23年の第1回全日本大学選手権で優勝、昭和28年(1953)単独で渡米し全米選手権に出場し、世界の主流 であった6人制バレーを体得、日本へ持ち帰り、6人制のパイオニアとなった。関東大学リーグ優勝23回、全日本大学選手権優勝3回、準優勝3回。2012年度全日本大学選手権 第3位、2013年度秋季関東大学リーグにて27年ぶりの優勝を、また同年全日本大学選手権で61年ぶりの優勝を果たした。伝統ある定期戦は、慶応義塾大学との「早慶戦」(2013年度、第77回)、関西学院大学との「早関戦」(同、第65回)、OBも加わって競う「全早慶明」(同、第66回)の定期戦がある。2013年度、男子は関東大学リーグ1部リーグに、女子は2部に所属。毎年、リーグ戦優勝と学生日本一をめざして、学生自主のもと、鍛錬している。

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