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早稲田大学バレーボール部 創部 昭和6年(1931年)

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item1h3a1c1b2a3a1b3b1a3a3a1a1a えんじの人々(29)「早稲田スピリットで将来の日本を背負ってほしい!」

原 勇人さん (平成6年 人間科学部卒業)

2018年1月掲載

早稲田大学バレーボール部の卒業生OB・OGがつくる稲門バレーボール倶楽部。桐原勇人さん(平成6年人間科学部卒業)は、日本バレーボール協会で、ビーチバレー事業のトップとして、強化普及に取り組んでいます。学生時代に入れ替え戦を何度も経験した強靭な心身を彷彿とさせる精悍な表情で、早稲田について、日本のバレー競技、スポーツについて、語っていただきました。

 

いま、桐原さんがバレーボール協会でとりくんでいることは何でしょうか

現在、私は公益財団法人日本バレーボール協会でビーチバレーボール事業本部の本部長という仕事をしています。ご存じの通り、日本ではバレーボールは非常に長く大きな歴史があります。これは諸先輩のご尽力の賜物に他なりません。しかしビーチバレーボールは日本ではまだまだ認知されているとは言えません。一方、世界を見渡すとビーチバレーボールはオリンピックでは最もチケットの売れるスポーツのひとつにいつも挙げられていますし、2人制で参加しやすいからか国際大会への参加国数はバレーボールよりも多いと言われています。そのなかにあって、現在の私はビーチバレーボールの日本代表の強化、競技の普及、大会の開催などビーチバレーボールに関わる事全般が仕事であると言えるでしょう。

 

ビーチバレーが皆を引き付ける魅力は?

私は、他のバレーボール選手と同じように、中学校に入った時から高校、大学、Vリーグとバレーボールを続け、その後ビーチバレーボールに転向して選手、コーチを経て現在に至っています。両方の種目をそれなりに経験した私が実感し、現在の活動の根幹として考えていることは、「ビーチバレーボールも同じバレーボールである」ということです。例えば日本代表強化において有望だと感じる選手の資質、実はバレーボールとビーチバレーボールではほぼ変わりません。実際にこれまでビーチバレーボールで日本代表としてオリンピックに出場した選手のほとんどは、バレーボールでも高い実績をあげてきた選手だったのです。確かに近年バレーボールはポジションにおける分業化が進んでいるように見受けられます。一方でビーチバレーボールはオールラウンドなプレーが求められます。それでは、オールラウンドな選手がビーチバレーボール、ひとつの役割に秀でた選手がバレーボールをすれば良いのでしょうか。私はポジションとは自分の特徴を生かす、またチームにおける役割のことであって、バレーボール選手はスパイク、セット、パス、ブロック、ディグ、レセプションなどなど、全てのスキルをできてこそバレーボール選手なのだと思っています。全てができなければバレーボール選手ではない、と言っているのではありません。たとえ背が高くても低くても、全てのプレーをできるように頑張るほうがバレーボールは面白い、と言いたいのです。バレーボールなのか、ビーチバレーボールなのか、あるいはどこのポジションかなどということはそのあと選んでいけば良い話です。こうして選手の皆さんが取り組んでいけば、バレーボールはきっともっと楽しいはずですし、日本のバレーボールのレベルはさらに上がっていることでしょう。私はこのような思いを軸におきながら、自分の仕事に取り組んでいきたいと思います。

 

ビーチバレーも五輪種目としてすっかり定着しました。東京五輪へ向けて、バレー界が取り組むこと、課題、活動などを聞かせてください。

世界の強豪国を見渡すと、若年層の育成においてバレーボールとビーチバレーボールの区別が無いとか、様々なポジションに取り組んでいるケースが多く見られると思います。もっと言えば、いろいろなスポーツに取り組んでいるケースも多いです。ということは世界の代表選手たちは、みんな基礎的なスキルを持っている中から勝ち残ってきたという意味で、真のスペシャリストとも言えるわけで、大型化しスキルもフィジカルも非常に高度化していると思います。バレーボール、ビーチバレーボールともに日本代表がそんな世界と戦うことは、そう簡単なことではありません。東京でのオリンピックという特別な舞台で、時間も限られているわけですが、だからと言って選手たちがやるべき事は変わらないと私は思います。ただ、必ずやり抜く、そして結果を出すという強い覚悟が必要であることと、試合で自分の持っている力を出し切る力を持っていることが最低条件だと思います。あとは国を代表するということをよく理解することが重要でしょう。細かいことやテクニカルなことを言い出すとキリが無いのでとてもここでは触れられませんが、選手、スタッフの人間力をまず高めることが重要だと思っています。

 

桐原さんが早稲田に進学した動機は何でしたか?

実は、私は高校の時に早稲田も含めて大学バレーボールに関する知識はほぼありませんでした。大学の付属校にいたわけなので漠然とそのまま大学に進むだろうと想像していました。ただ、大学に行ってもバレーボールを続けたいと思ったのですが、当時非常に強かった法政大学に進んでも通用しないだろうと恩師に言われ他大学を視野に入れ、ふと早稲田に行きたいと言ったのがきっかけです。それもバレーボールとは全く関係がありませんが父が早稲田の卒業生だったからというくらいでした。

ずいぶん遅くになって私が恩師に早稲田への志望を伝えたものの、当時の人間科学部スポーツ科学科の特別選抜の試験は確か12月ごろだったので、当時ちょうど早稲田の主将だった高校の先輩とマネージャーの方が高校まで来てくれて、いろいろと説明をしてくれました。あとは試験に落ちないように論文を書く練習や、基礎能力試験の練習をかなりやったのを覚えています。

 

学生4年間で思い出深いこと、バレーの試合や練習での思い出はありますか?

なんとか特別選抜の試験に合格すると、さっそく大学の練習や合宿に参加するように言われたように記憶しています。というのも当時の早稲田は選手層が薄く、4年生が卒業するので春のリーグ戦から私を試合で使おうということだったようです。非常に幸運なことなのですが、私は大学に行ったら運転免許を取る暇も無いだろうと教習所にも通ったりしていましたので、それとやり繰りをしながら結局ずっとバレーボールをしていて、いつの間にか入学していたという感じです。

 

早稲田でバレーボールをはじめて、感じたことは?

早稲田に入学して率直に思ったのは、当時練習していた記念会堂の大きさ、試合になると応援に来てくれるOB、OGの多さと年齢層の広さ、入学した時は関東1部リーグで東海、法政、日体、中央など全日本に入るような選手がたくさんいたことなど、早稲田にはあまり関係はありませんでしたが会場に女性ファンもたくさんいたことなど、いろいろ驚いたことも多かったように思います。

 

早稲田は学生主体で行動することがモットーですね

私が入学したころの早稲田は練習を4年生が考えて学生たちだけで行っていました。私の場合は中学も弱小バレー部、高校の時も生徒が考えて練習をしていました。自分で考えてプレーをするという習慣がついたのは貴重な財産で、高校の恩師の細かいことを言わずに人を育てる姿勢は私も指導者の端くれとして凄いなと思います。ただ、私はさほど器用ではなくバレーボールの基礎を教わったことが無いので、ところどころで調子の波があって上手くいかなかったこともあったように思います。ただ、幸い1年生の時から試合に出ていたことで、試合からたくさんの経験を得ることが自分をここまで成長させてくれたのだろうと思います。しかし当時の早稲田は1部と2部を行ったり来たりで、1年の春に2部に落ちて秋に1部に上がり2年の時は1部、3年の春に2部に落ちて4年の秋に最後1部に上がって終えるまでリーグ戦は2部で戦うといった感じでした。最後の全日本インカレは筑波や日体など1部のチームにも勝ってベスト4まで進むことができましたが、秋の入れ替え戦で勝った中央大学に全日本インカレの3位決定戦で負けるという非常に悔しい思いをして学生生活を終えることになりました。こうしてところどころで悔しい思いをしていることが、その後もずっとバレーボールに関わっている原動力になっているのでしょう。

 

早稲田で学んだことを教えてください

振り返れば私は周りの人に支えていただきながら好きなことを、ただひたむきにやらせてもらうことができたように思いますし、卒業以来OBらしいことをしているわけでもなく、早稲田を偉そうに語れるような人間ではありません。

しかも具体的に言うのはなかなか難しいのですが、早稲田で過ごし、その伝統やスケールの大きさや全国からそこに集う素晴らしい人たちに触れることによって、ただ好きなバレーボールを続けることに拘ってきた私のような人間の幅を広げてもらったのではないかと思います。

 

12月の全日本大学選手権で早稲田が優勝しました。実際に観戦していたそうですが。

昨年末に行われた全日本インカレは東北学院大学戦と筑波大学との決勝を会場で観ることができました。松井監督は私が1年生の時の4年生であり、同じ時期を早稲田バレー部で過ごさせていただいたわけですが、今の早稲田バレー部は当時とは比べ物にならないほど選手個々のスキルもあるし戦略、戦術もしっかりしていて驚かされ、一人のバレーボール愛好者として単純に観ていて面白かったです。特にサーブのミスが非常に少ないことが非常に印象に残っています。選手層もずいぶん厚くなり、交代で出てくる選手も遜色の無いプレーができることも素晴らしいと思いました。ただ、筑波、中央、東海をはじめ、ライバル校の戦力も決して低いわけでは無いので、早稲田が今後も勝ち続けるために、また新しいチームで気を引き締めて頑張って欲しいと思います。

また一方で、現在大学チャンピオンである早稲田バレー部の皆さん、現役選手にもこれから入ってくる選手達にも、私は勝手ながらさらに大きな期待をしたいと思います。

 

早稲田の現役選手にはどんな進路を探ってほしいですか?

ご存じの通り、昨今のスポーツ界はビジネス化も進み、いわゆるプロスポーツが中心になりつつあります。しかし先日の試合を観て私が感じたことは、やはり大学バレーが面白い、そしてレベルが高いならば、きっと日本のバレーボールはもっと元気になるだろうという事です。従って、皆さんには大学バレーに留まらず、日本のバレーボールをリードするつもりで取り組んでもらいたいと思います。

そして選手の皆さん個々においては、そうして培った早稲田スピリットでバレーボールであっても無くでも良いと思いますが、世界で戦う人、あるいは国を作るような人、あるいは国を変えるような人、いずれもスケールの大きな人になって将来の日本を背負ってください。

ありがとうございました。

 

桐原 勇人 さん(きりはら はやと)

平成2年(1990年)神奈川県法政大学第二高校卒業、同年早稲田大学人間科学部に入学、現役時代はサイドアタッカー。平成6年(1994年)に卒業し新日本製鐵株式会社に入社、新日鐵(現・堺)ブレイザーズの選手としてVリーグでプレー。平成13年(2001年)からビーチバレーボールに転向、2002年釜山アジア競技大会日本代表。平成16年(2004年)に現役を引退、ビーチバレーボール男子日本代表コーチとなり、2008年北京オリンピックではビーチバレーボール男子日本代表(白鳥・朝日組)コーチ。平成26年(2014年)公益財団法人日本バレーボール協会ビーチバレーボール事業本部副本部長となる。平成27年(2015年)公益財団法人日本バレーボール協会業務執行理事となりビーチバレーボール事業本部本部長となる。

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