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 早稲田大学
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item1b1a えんじの人々(7)「何のための学生スポーツか?」

皆川里奈さん (女子部・昭和56年・社会科学部卒業)  2009年10月掲載

 

今の早稲田大学バレーボール部女子部を見て感じることは、「女子部員が多いなぁ、体格に恵まれているなぁ、と率直に思います。伸び伸びとしたプレーを見ていると、“バレーボールが好き、チーム一丸となって戦おう”という気持ちが伝わってきます。もっと大きく成長する可能性も感じます。応援する側を楽しい気分にさせてくれるチーム、また応援に来たいと思わせてくれるチームだと思います。私が現役の頃と比べると、練習環境が格段に整っている点はうらやましい限りですが、キャンパスから離れた場所にある体育館までの移動(当時は記念会堂だった)や、夕方からの練習など、私が味わったことのない苦労もあるだろうなぁ、と思います。時間管理や健康管理には留意してほしいですね。」

 

皆川さんは、昭和52年に早稲田大学に入学、バレーボール部に入部しました。体育学を専攻する女子学生が入学する10年前です。「社会学や福祉政策を学びたかったので、進学するなら早稲田大学社会科学部と決めていました。また、高校時代から始めたバレーボールを通じてチームスポーツの素晴らしさを知り、できれば大学でも続けたい、という気持ちがありました。実績も素質もない私がやれるとは正直思ってはいませんでしたが、練習を見学した時に、このチームの一員として自分もやってみたいという気持ちに変わりました。チームの雰囲気がとても明るく、練習中のキビキビとした態度が清々しく、4年生の方々が厳しくもあり優しくもあり、とても素敵だったのを覚えています。入部したのは、チームに魅力があったからです。」

 

1年生の時は部員が12名揃っていました。当時としては画期的でした。「1年生の時、OG・OBの方々のご援助で作っていただいた女子部の部旗を掲げて参加した秋季リーグ戦が思い出に残っています。女子部の歴史の重みとOG・OBのご厚意を強く感じました。杉山信監督(昭和26年卒)と坂口勉コーチ(昭和53年卒)の下で、部員の結束力が更に高まったのを覚えています。この時は女子部員だけで紅白試合ができる人数が揃っていて、活気に溢れていました。しかし、2年生の終わりに、4年生引退の後を追うようにして3年生が突然お辞めになり、いきなり最上級生、部員は5名になってからは、試合よりも、試合に臨むために過した日々のことが思い出されます。常に部員不足との闘いでしたから。先輩から3部で受け継いだバトンを、卒業時に5部降格で後輩へと渡すことになりました。無念でなりません。」

 

持ち前のやる気と精神力で自ら卒業後の進路を切り開き、念願のスポーツ関連の職を得ることができました。「卒業から16年間、財団法人三菱養和会に勤務し、健康・スポーツ事業に携わりました。この財団は、グループ各社の社員や家族の健康増進・スポーツを通した交流・福利厚生の役割と、公益法人として地域社会の生涯スポーツ振興に寄与する役割を担うユニークな法人です。拠点のひとつは東京都豊島区に在る総合スポーツセンター。ここは10大学OB戦の会場になったことがありますので、足を運ばれたOB・OGの方々もいらっしゃるのではないでしょうか。」

 

「私がスポーツ業界で仕事をしようと決めたのは、『何のための学生スポーツか』と悩み続けた大学3~4年の2年間があったからです。社会に出てからも“企業フィットネス”や“生涯スポーツ”という取り組みができることを知り、自分がやりたいことはこれだと思いました。就職活動は、企業に直接電話を掛けて体当たりです。練習場所や練習相手をいつも求めて活動してきた交渉力が役に立ちました。求人していない企業も突然の電話に関心を示してくれました(30年前だから出来たことかもしれませんが)。

クラブ運営やイベント企画、広報、フィットネス指導、リニューアルプロジェクトなどを担当しました。サッカー・ボート・バドミントン・スキーなど色々なスポーツに親しみ、各スポーツ界のトップレベルの指導者や選手と知り合う機会や、国際交流事業で海外に出るチャンスを得ることもできました。学会へ参加したり、ヘルメットを被って工事現場へ入ったりもしました。チャレンジングな仕事ばかりで超多忙な日々でしたが、スポーツを通じて視野が広がり、人間力が大いに鍛えられました。」

 

30代の後半に、新たな世界にチャレンジしました。「人材育成コンサルタントとして独立し、今は企業研修講師としてコミュニケーションやコーチングなどの社員教育と、キャリアカウンセラーとして20~30代を対象に仕事上の悩み相談やキャリア形成のサポートをしています。こうして仕事ができるのは、これまでの幾多の経験や人とのつながりがあるからこそ、と思っています。失敗や困難も含め、積み重ねてきた中に無駄なことは何ひとつもなかったと感じます。あらためて振り返ると、折々の出来事やお世話になった方々への感謝の気持ちで一杯になります。

今の私のスポーツへの関わり方は、“する”よりも“見る・支える”のが中心です。サッカーW杯のボランティアをしたり、五輪を観戦しに行ったり、ジョギングを軽く楽しんだりしています。そして、稲門会の一員として現役の活動を支援するという気持ちは卒業以来ずっと変わっていません。私にとって今やスポーツはライフワークのひとつです。」

 

卒業後の社会人としての生き方の中にも、早稲田で学んだ4年間が活かされていると言います。「人生という長いキャリアの中で大学で過すのはわずか4年間ですが、社会人になる前の大事な時期です。大いに勉学に励み、大いにバレーボールに打ち込み、他にも色んなことを吸収してほしいですね。早稲田にはそれができる環境が充分整っていますから、存分に活用するといいと思います。私は、他の学部の授業を聴講したり、窪田登先生(当時体育局長)のウエイトトレーニングの授業の助手をしたりもしました。

そして、今後のためにアドバイスですが、経験から学んだことや感じたことなどは書き留める習慣をつけることと、自分で考えるだけでなく仲間と議論する機会を持つことをお勧めします。将来のキャリアを考える時に必ず役立ちますから。

早稲田で学ぶ意義について、私自身は、卒業後も幅広い世代の人とのつながりや学習を継続する機会が得られるところにある、と思っています。現役選手の皆さんもどうぞ先輩や後輩と付き合いを末永く大切にしてほしいですね。」

 

最後に、「昭和62年4月に人間科学部が新設、次にスポーツ科学部も新設されてからはスポーツを専門とする女子学生が多くなりましたが、女子部の良さは様々なバックグラウンドや才能や興味などを持つ学生が互いに刺激し合いながらバレーボール選手としても人間としても幅広く成長していくところにあると思います。今後も人間科学部とスポーツ科学部以外の学生が入部できる部であってほしい、と切に願っています。

勉学とスポーツの両立を志向するなら早稲田でプレーしたい、大学に入ってから競技志向でバレーボールを始めてみたい、という人は大勢いるのではないでしょうか。そういう人たちに向けて、今のチームの魅力や活動状況などをもっと活発に学内外に情報発信し続ける必要性を感じます。また、大学スポーツを取り巻く環境は常に進化していますので、現役への支援のあり方もその変化に対応させていかなければならない面があることも感じています。そのためには若手のOB・OGのみなさんの力、経験やアイディアが不可欠です。早稲田のバレーボールのこれからについて一緒に考えていきましょう。」

 

皆川里奈(みながわりな)・・・昭和52年(1977年)東京都立武蔵高校から早稲田大学社会科学部に入学、バレーボール部に入部。1年生の春季3部リーグからスタートした。3年生のときに主将に就任、部員数の少ない苦しい時期にチームをまとめてリードした。昭和56年(1981年)卒業、財団法人三菱養和会に就職。現在は、人材育成コンサルタント、キャリアカウンセラーとしてフリーで活動。昭和61年(1986年)から20年間、稲門バレーボール倶楽部で幹事などの役員を続け、物心両面での現役支援やOB・OG親睦に奔走を続けた。

 

この「えんじの人々」シリーズでは、稲門バレーボール倶楽部の会員の消息や各界で活躍するすがたを紹介していきます。そうした卒業生がいらっしゃったらご連絡ください。ご自分での文章も歓迎いたします。