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 早稲田大学
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item1b1a1a えんじの人々(9)「スクープ争いの第一線で」

新村千草さん(女子部・平成16年・第一文学部卒業)   2009年12月掲載

8月7日午前11時すぎ TBSテレビ、 恵俊彰さんが司会する番組「ひるおび」放送中に、急きょ画面が変わりました。

「警視庁からニュース速報です。行方が依然わからないままになっている、歌手で女優の酒井法子容疑者に、警視庁は逮捕状を請求しました」 

TBS社会部のトクダネスクープでした。酒井容疑者は、夫が覚せい剤取締法違反(所持)で逮捕され、一緒にいるとみられていた酒井容疑者の長男(10)が東京都内で見つかり無事保護されましたが、本人の行方は依然分からないままになっていました。その後の社会事件に広がる大事件の節目でした。その一報を警視庁クラブから生中継で伝えたのが、平成16年(2004年)に早稲田大学第一文学部、バレーボール部を卒業した新村千草さんです。新村さんは、現在TBSテレビ報道局社会部に属し、警視庁担当の記者として事件事故取材の第一線で働いています。

「報道局・社会部の警視庁記者クラブ担当記者です。警視庁は殺人事件など凶悪犯を扱う「捜査1課」、詐 欺や贈収賄など知能犯を捜査する「捜査2課」、などがあります。私は今“生活安全部”の略称「生安」担 当です。「生安」担当は最近の話題で言うと、円天という疑似通貨を発行し、出資金を募った上で破産した 「L&Gによる詐欺事件」や「著名な写真家篠山紀信さんのヌード写真集をめぐる公然わいせつ事件」など 生活に密着する事件を捜査する部署です。この他に、「組織犯罪対策第1課」と「第5課」なども担当で す。こちらは、酒井法子さんの覚醒剤取締法違反事件 など薬物事件を捜査する部署で、こちらの取材担当で もあります。

 

ふだんは、皇居の真ん前、警視庁の本庁の中にある記 者クラブにいるそうです。ここには民放各社、NH K、新聞各社、通信社など加盟社17社がブースを持っていて、日々、事件ネタを求めてしのぎを削って います。

「一日は朝回りで始まります。警視庁関係者の自宅近くに朝早くに向かい、自宅から出勤する為に出てきた 捜査員、幹部に話しを聞きます。警視庁の関係者は非常に朝が早いので、その方々が家を出る前から待って いる訳ですから、朝5時に家を出ることなんてザラで す。私は朝が弱いので、これが一番辛いです。しかし、警視庁担当記者に限らず、事件担当記者にとっては捜査員に取材する朝回り、夜回りが生命線です。もちろん、誰も簡単に教えてなんてくれません。何度も 通って、通って、記者としての思いを語り、信頼を得て心が通じた時に初めて、話が聞けます。その瞬間が 一番事件記者として「頑張って良かった」と思える瞬 間です。朝回りが済むと、急いで霞ヶ関の警視庁本庁に向かいます。ここからが、また戦場です。私達民放各社は昼 の11:30に「昼ニュース」を放送します。その昼ニュースに向けて、自分が朝回りや前日の夜回りで聞いたネタ、もしくはずっと温めて取材し続けていたネタをオンエアに結びつけるべく、警視庁クラブの キャップに報告を上げ、原稿を書きます。午前中には 警視庁による事件発表が多い時では2,3本と立て続 きに行われる場合があります。他社が知らない「独自 ネタ」の原稿を書く他にも、全社に平等に行われる 「発表ネタ」を発表レクを聞いてから、昼ニュース用 に10~15分で書き上げるという「追い込み」も日 常茶飯事です。

 

まさに命を削る忙しい日々です。一方で、現場で得られる充実感ややりがいもあると言います。

「報道記者という仕事に進んだきっかけを聞かれれば、迷わず「ニュースが好きだから。」と答えます。 大学時代、就職活動に向けて準備している時に、“自 分は何をしたいのか”と自問自答し続けました。その時、思い出したのは幼い頃から母親に度々、説明された時事問題。反抗期真っ直中だった私は半分位聞き流 していましたが、いつも母が語る「ノンフィクション が一番面白い」という言葉が心の奥底にありました。 それを思い出した時、「報道を目指そう」と思いまし た。」

 

大学を卒業、バレーボール部を卒業してから6年。早稲田の4年間は、いまの仕事に役立つものばかりだっ たそうです。

「どこで役に立っているかというと、あらゆる所で役に立っています。早稲田大学バレーボール部という非 常に伝統のある体育会の部でバレーが出来たこと、そ れ自体が私の誇りです。また、そこで“同じ釜の飯を 食った”仲間、監督、そしてOB、OGの方々。今、 思うと私の周りは熱い同志ばかりで本当に恵まれてい たと思います。私が「マスコミを目指して就職活動す る」と宣言した時、真っ先に助けて下さったのは部のOBの方でした。この方は、自分の人脈を駆使してマ スコミで働いている、早稲田の体育会OBの方々に会わせていただきました。野球部、アメフト部、バレー部、 多くのOBが現場で働いている姿を見たり、言葉を聞いたりして、これこそが自分が目指す場所だと確信し ました。そうした仲間や監督、OB,OG、という人脈。また、大学の4年間で培った『絶対に諦めない不屈の精神』。これは現在の仕事において一番役に立っています。」

新村さんがすごした高校は、神奈川県横浜市にあるいわゆる進学校でした。バレー部員の人数はギリギ リで、県大会に出場するのがやっとという“ふつうの チーム”でした。大学時代は、大学2年の時に女子部としては36年ぶりに関東大学リーグ1部に昇格、関東大学リーグでは最高で5位、全日本大学選手権ではベスト16が最高でした。新村さんは強い意志と信念を持って早稲田を受験し、現役で第一文学部に進学しました。

「高校のバレー部の監督が早大バレー部の男子部出身 でした。この監督に、「本気でバレーをやるなら早稲田でやれ」というお話を聞き、当時は純粋だった私はその重いが高まりました。本当にバレーが大好きです し、今はこの恩師に本当に感謝しています。どうして も早稲田のえんじ色のユニフォームでプレーがした かったからです。」

早稲田は、お父さまの出身校でもあり、高校時代の自らの夢であったと言います。

「早稲田のバレー部では、高校では経験したことの無いくらい、厳しい「練習に対する姿勢」と「生活態 度」を求められました。具体的に言いますと、ボールわたし一つ、挨拶一つタイミングが遅いだけで、注意、 指導されました。振り替えれば本当に鍛えられたなあ と思います。そうした妥協の無い姿勢が、現在の仕事 にも活かされていると思います。」

新村さんが2年生のときに、女子部は悲願の1部への昇格・復帰を果たしました。先ごろ亡くなられた水野元 部長先生の在任中の大きな出来事でした。

「大学4年間で最も印象に残っている試合は、やはり36年ぶりに関東一部に昇格した試合です。何度も試合をした相手(国際武道大学)との入れ替え戦で、お互い、 「落ちるもんか」、「上がってやる」という熱く強い 思いがプレーに表れた“死闘”でした。今、早大バ レー部での生活の日々は必ず、自分に戻って来ます。良い意味でも、悪い意味でも。今、本気でやらないで、いつやる!」と常に自分に言い聞かせて上を目指し続けてください。」

大学の4年間は、他のどの大学でもなく早稲田で良かったと、誇りを持って話してくれました。高校生で 早稲田を目指しているバレーボール選手のみなさん へ、メッセージです。

「東大でもなく、慶応でもなく、いくつもある大学の 中で早稲田を目指す。その期待を裏切らない環境と仲 間が早稲田にはいます。伝統ある校舎の出で立ち。でも、どこか「泥臭い」。時代に媚びない、凜とした姿 がそこにあります。自分が夢見る、学生生活を可能に してくれるキャンパスだと思います。でも、キャンパ スの女神は「努力をする者」にしか微笑みません。合格を絶対に諦めないで、受験勉強も頑張ってくださ い。」

新村千草(にいむらちぐさ)・・・神奈川県立外語短期大学附属高校から早稲田大学第一 文学部に入学、バレーボール部に入部。現役時代は、 レフトやピンチサーバーのポジションで、関東大学リーグ戦などの大会に出場。平成16年(2004年)卒業、TBSテレビに入社、報道局に勤務。入社1年目から社会部に配属、現在警視庁クラブ に在籍し、生活安全部、組織犯罪対策第1課、第5課、交通部、地域部を担当。

参考 TBSホームページ

この「えんじの人々」シリーズでは、稲門バレーボール倶楽部の会員の消息や各界で活躍するすがたを紹介していきます。そうした卒業生がいらっしゃったらご連絡ください。ご自分での文章も歓迎いたします。