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歴史

早稲田大学バレーボール部は、早稲田奉仕園の園長/宣教師ベニンホフ先生の理解の下(1931年)早稲田奉仕園排球部と呼称する任意団体としてスタートし、昭和9年(1934年)体育会公認の排球部となった。昭和14年(1939年)大隈庭園西側に専用コートが出来るまで、奉仕園をホームコートとして練習に励んだ。



昭和7年(1932)関東学生排球連盟が結成され、早稲田大学として公式試合初参加となる関東学生春季リーグに出場した。昭和9年 (1934)春季リーグ戦で初優勝、昭和10年(1935)春季から昭和16年(1941)秋季までリーグ戦14連覇の偉業を果たし、戦前の日本のバレー ボール界をリードしてきた。また戦後も、昭和23年の第1回全日本大学選手権で優勝、昭和28年(1953)単独で渡米し全米選手権に出場し、世界の主流 であった6人制バレーを体得、日本へ持ち帰り、6人制バレーボールのパイオニアとなった。

男子部
関東大学リーグ戦優勝28回、全日本大学選手権優勝6回、準優勝3回。2012年度全日本大学選手権 第3位、2013年度秋季関東大学リーグ戦にて27年ぶりの優勝を、また同年全日本大学選手権で61年ぶりの優勝を果たした。2017年度秋季関東大学リーグ戦にて6人制で初の全勝優勝を、同年の全日本大学選手権で5度目の優勝を果たした。2018年度は関東大学リーグ戦春季、東日本大学選手権、関東大学リーグ戦秋季、全日本大学選手権大会のその全てで優勝する成果を成し遂げた。

<2013写真><2017写真><2018写真>

伝統ある定期戦は、慶応義塾大学との「早慶定期戦」(2019年度で第83回)、関西学院大学との「早関定期戦」(同、第71回)、OBも加わって競う「全早慶明定期戦」(同、第72回)の定期戦がある。

女子部
昭和27年(1952)結成、、1980年代から上位進出を果たし、1部と2部の所属を繰り返した。2017年度、苦しみながら1部復帰と残留を遂げたが、2018年春季リーグ戦で2部に降格した。2019年度は1部昇格を目指し鍛錬を積んでいる。

男女ともに毎年度、リーグ戦優勝と学生日本一をめざして、学生自主のもと日々鍛錬している。

創部70周年 集まり散じて 二十年の歩み」から 抜粋 敬称略
1953(昭和28)年3月、早稲田大学バレーボール部は米国ネブラスカ州オマハ市にて開かれる全米選手権大会に出場のため、単独チームでアメリカ遠征を行なった。
その目的はこの機会に米国各地を転戦し、6人制(国際式)バレーボールをチームとして体得し、我が国6人制バレーのパイオニアになるということと、9人制を米国に紹介し、その優れた点を知ってもらい、普及をはかることであった。
遠征メンバーは次の13名で、3月30日プレジデントウイルソン号にて渡米した。
団 長 岡田 英雄
監 督 谷口  清
コーチ 木下吉治郎
マネージャー兼トレーナー 大倉 俊彦
選 手  佐藤 昭吾(主将)
遠藤 整治、見波 暢隆、御酒本 達、三島 照美
塩野  操、丸谷 統男、西川順之助、田中 知彦

成績は全米選手権大会大学の部で第三位。各地での成績は、6人制が24試合9勝14敗1分、9人制が15試合14 勝1敗であった。
この渡米に際し、当時の日本は1951(昭和26)年、国際バレーボール連盟に加盟し、国際化に一歩踏み出したものの、まだまだ9人制バレーが隆盛をきわめていた。そのため日本バレーボール協会に全米選手権大会出場の承認を得るには、米国に9人制を紹介、普及させるということが条件であった。
又、戦後の経済的に厳しい時代のアメリカ遠征は多大の費用負担を要することであった。このため参加者個人の自己負担の他、現役選手は母校での募金活動を行うと共に、早大O.Bで当時副総理・官房長官であった緒方竹虎氏に渡米後援会長をお願いし、趣意書を起草し、各企業・日本バレーボール協会はじめ地方協会等々から浄財を得ることが出来た。次頁に掲載したものが、この時の趣意書である。(大倉俊彦提供)
9人制絶頂期における6人制への挑戦、様々な周囲の反応。そして自らの資金集め。帰国後の6人制バレーの紹介・苦心談。これらは50 年史の座談会「単独渡米・6人制のパイオニア」と故岡田英雄の随想「6・9論争」に詳しく記載されている。
この趣意書には渡米時の目的、時代背景、切りつめた経費、そして学生の本分たる学習・教養に対する真摯な姿勢が述べられている。
当時から50年。早稲田大学バレーボール部に今も脈々と流れている文武両道の精神をここに見ることが出来る。
初のアメリカ遠征と渡米後援会趣意書
早稲田大学バレーボール部単独渡米

 

 

記念会堂(〜2016年)

早稲田アリーナ( 2019年〜)